アセルカデ
福島県飯舘村
「いいたて雪っ娘」かぼちゃ歴史と込められた想い
夏には太平洋側から冷たいやませが吹き込み、冬には氷点下まで冷え込む福島県飯舘村で、元農業高校の教師の菅野元一さんによって、食味と保存性にこだわって改良や選抜ののち、丹誠込めて育種されました。
その当時、まだ名前のなかった白皮のかぼちゃは、30年近くの年月を経て「いいたて雪っ娘」と名付けられ、品種登録を間近に控え、本格的な生産活動に取り組み始めて「さぁ、これから!」という時、2011年3月東日本大震災と原発事故が発生し、飯舘村は全村避難区域に指定されました。
生みの親と共にいいたて雪っ娘も故郷を離れざるを得ませんでしたが、飯舘村に対する強き想いが失われることは決してなく、「混沌の中で運び出した雪っ娘の種、その生命を絶対に絶やさない。」という強い信念で育まれたいいたて雪っ娘は避難先の畑で芽生え、新しい生命と共に勇気を与えてくれる存在となりました。
避難先である福島市の畑で土作りから栽培を再開し、多くの方に支えで諦めることなく今日まで活動を続けてきた結果、避難区域解除となった2017年からは飯舘村での栽培を再開し、復興のシンボルとして再び故郷に帰ってくることができました。品質についてもプロの料理人の方から高い評価をいただけるようになりました。
今ではまでい工房美彩恋人渡邊とみ子さんを始めとする福島県だけではなく、色々な地域でも育まれ、想いを共にする方の輪が広がっています。人の縁によって完熟するかぼちゃ。それが「いいたて雪っ娘」なのです。
までい
福島県北部には「ゆっくり」「ていねい」そして「てまひまかけて」という意味を持つ「までい」という方言があります。この「までい」という言葉に込められているのは仕事を施した方に対する尊敬の念です。決して諦めない強い気持ちと共に、いいたて雪っ娘は今日もまでいな心で育まれています。
「いいたて雪っ娘」
かぼちゃの魅力
○皮、果肉
畑から収穫されたいいたて雪っ娘かぼちゃは、汚れ落としと消毒のために一つずつ手作業で丁寧に磨き上げられているため、皮は他のかぼちゃと比べてつるっとした触り心地で眩しい輝きを放っています。「べっぴんさん」の美しいかぼちゃの1つ1つには、渡邊とみ子さんをはじめとする生産者の皆様の細部まで「までい」な心が込められています。また、果肉は鮮やかなオレンジ色で食卓を豊かに彩ります。
○味
熱を加えると生まれるホクホクの食感が口の中でしっとりと滑らかに変化し、甘い香りと共に広がる濃厚で奥深い甘さが、優しく広がります。甘すぎずやさしく奥深い甘みが特徴的なため、料理の主役にも、名脇役にもどちらにもなることができる万能なかぼちゃです。シンプルな調理法はもちろん、色々な味付けを施した調理法でも美味しさの軸がブレない食材となっています。
○貯蔵性
通常、国産のかぼちゃが並ぶ時期は秋口から年内までの期間ですが、貯蔵性が高いいいたて雪っ娘は、メキシコ産等のかぼちゃが並ぶ冬場にも調達が可能です。むしろ追熟が進むことで、名前のとおり雪が降る時期に近づくにつれて美味しくなります。
渡邊とみ子さんと本所ゼミ
栽培から加工、販売までの6次産業化を目指し2007年に設立された加工施設「までい工房美彩恋人(びさいれんと)」の渡邊とみ子さんはいいたて雪っ娘かぼちゃの生産、加工、販売、普及活動だけでなく、市場や催事イベントなどにてお弁当やおこわ、蒸しパン、味噌じゃが、凍み餅などの総菜料理の生産や販売、震災の語り部として、福島県内の活動にとどまらず日本各地に出向き福島県飯舘村、いいたて雪っ娘のため精力的に活動なさっています。
今回新百合ヶ丘エルミロードさんとコラボ企画を実施している明治大学農学部本所ゼミの学生は毎年、福島県飯舘村や福島市の圃場での実習やヒアリング、マルシェや大学祭への食材提供などを渡邊とみ子さんに快く受け入れていただいており、今後もご縁を大切にしたい素敵な方です。
渡邊さんは今後の目標として、今の活動に加え、福島県飯舘村の家での農泊でいいたて雪っ娘の農業体験や様々な方を受け入れ飯舘村、いいたて雪っ娘をより一層盛り上げていくことを考えていらっしゃいます。
今回のコラボメニューを食べることで、ずっと変わらず飯舘村、いいたて雪っ娘への熱い想いを持ち続けている素敵な渡辺とみ子さんを応援しませんか。